陳述書を読めば読むほどわかる屋久島町議会議長の身勝手さ
石田尾議長、議場から排除した記者でも「十分な取材が可能」
撮影と録音を禁止しても「取材の自由の制約は限定的」
議会中継モニターで取材すれば「大きな支障はない」
【議会取材の自由を守る訴訟】
※屋久島ポストは訴訟の当事者であるため、主観を入れた取材記の体裁にしています。

屋久島町議会(石田尾茂樹議長)が市民メディア「屋久島ポスト」(共同代表・鹿島幹男、武田剛)の議会取材を拒否したのは、「表現の自由」などを保障した憲法に違反しているとして、屋久島ポストが町を相手取って提起した「1円訴訟」――。
この訴訟の第7回弁論準備手続きが7月1日に開かれるのを前に、石田尾茂樹議長は自身の陳述書を鹿児島地裁に提出しました。
そこには、屋久島ポストに取材を許可するか否かを、どのような理由や根拠で判断したのかが記されています。詳細については、6月28日付「やはり合理的な理由がなかった屋久島ポストに対する取材拒否」と6月29日付「『虚言』としか思えない屋久島町議会議長の陳述書」の両記事に譲りますが、陳述書の結び部分を読むと、石田尾議長の身勝手で独善的な政治家としての姿勢がうかがえます。

撮影と録音は禁止だが「メモは自由だった」
まずは、この主張です。
<ここで、私が強調したいのは、私が許可・不許可の判断をしたのは議場の撮影行為のみだということです。撮影行為以外は、議会の傍聴はもちろん、議会でのメモも自由にして貰っていました>
この文章を読むと、あたかも「取材は自由に認めていた」かのようで、禁止したのは「撮影行為のみ」であり、屋久島ポストの取材には何ら影響はないと言いたげです。
しかし、実際には撮影に加えて、録音も禁じられていました。正確な報道をするには、議事の内容を撮影および録音して、それを基に記事を書かねばなりません。メモは認めていたと言っても、記者も人間ですから間違いはあります。なので、私たちは撮影や録音の記録を確認しながら記事を書く必要があり、その両方を禁じられると、正確な議会報道ができなくなります。
なぜマスコミにはテレビでの取材を求めないのか?
また、議場から排除された屋久島ポストが、役場内に設置された議会中継用のモニター画面を撮影していたことについては、こんな身勝手な見解を述べています。
<議会の様子は役場庁舎内のフォーラム棟にあるテレビモニターに映し出されており、このテレビカメラを取材 (撮影)することにより十分な取材が可能だったと考えております。(中略)武田さんらはフォーラム棟にあるテレビモニターの前に自分たちで撮影用カメラを設置してテレビモニター越しに議場の様子を取材(撮影)しており、議場の取材という面で大きな支障はなかったと考えます>
それならば、なぜマスコミ各社に対しても、同じように議会中継用のモニター画面を撮影するように言わないのでしょう? 議場での撮影と録音は原則禁止であり、役場内のモニター画面で「十分な取材が可能」であると考えるのであれば、すべての報道機関に議場外での取材を求めるべきです。

「取材する側」の見解を述べる石田尾議長
そして、石田尾議長の身勝手さを最も感じるのは、「議場の取材という面で大きな支障はなかった」という主張です。
取材に支障があるか否かは、私たち「取材する側」の問題であり、「取材される側」である石田尾議長が判断することではありません。それにもかかわらず、何を根拠にこんな主張をするのか。取材経験がない石田尾議長には、実際の現場に立って取材することが、どれだけ重要であるかがわかっていないのです。
もし、石田尾議長の主張が正しければ、国会を取材するマスコミは必要なくなります。なぜなら、国会の様子はインターネット中継で配信されているからです。記者たちはネット中継される国会審議の様子を議場の外で見て、閉会したのちに首相や大臣らに質問すればいいことになります。
しかし、そんなことはあり得ません。複数の報道機関が直に国会での審議を取材し、それぞれの視点や切り口で報じることで、広く国民に多様な情報を届けられるのです。
撮影と録音を禁止しても「取材の自由は害されていない」
ところが、石田尾議長は自分の判断を肯定するために、こんな主張を続けています。
<そうしますと、国民の知る権利を保障するための取材の自由に対する制約もかなり限定的だったのであり、今回の私の判断で取材の自由が害されて、憲法違反が認められることはなく、その他違法性も認められることはないと考えます>
これも「取材される側」である石田尾議長が、勝手に「取材の自由に対する制約もかなり限定的だった」と断定していることに、私たちは大きな違和感を覚えます。正確な報道をするためには、議場での撮影と録音は必要不可欠です。また、役場内のモニター画面に映し出される映像は議会側が撮影したものです。それ以外の様子を視聴することはできず、取材できる情報が極めて限定的になってしまいます。

根拠やルールがない「議長裁量の範囲」
これらの陳述を踏まえると、住民の代表であるはずの石田尾議長が、私たち住民の思いや意見を全く顧みていないことがよくわかります。そして、最後の一文は、こんなかたちで結ばれています。
<私のこれまでの判断は、いずれも、議会規則で議長に認められている裁量の範囲内の合理的な判断だったと考えます>
議長に認められた「裁量の範囲内」と言っていますが、その根拠はどこにあるのでしょう?
実は屋久島町議会には、議場内での取材をマスコミだけに認めるという明確なルールは存在しません。それでは、なぜ石田尾議長はマスコミ以外の取材者を排除するのかというと、次のような理由を陳述しています。
<議場の撮影行為については、私の前々任、前任の議長さんたちから鹿児島県庁記者クラブ(以下「記者クラブ」といいます。)に所属している記者については、原則として撮影行為の許可を与える運用が為されており、特別に申請・許可といった手続も省いているというを聞きました>
ここで注目したいのは、議場での取材を県庁記者クラブの記者だけに許可しているという運用について、石田尾議長が「前々任、前任の議長」から「聞きました」と言っていることです。つまり、明文化されたルールはなく、すべて口頭での引き継ぎということで、私たち住民がその存在を知ることは不可能だということになります。

取材可否の判断は議長の「好き勝手」で決まる
ただし百歩譲って、もし石田尾議長が主張する口頭での引き継ぎが本当にあるならば、屋久島ポストの取材は許可されるはずはありません。ところが2025年6月以降、私たちは議場での取材が認められ、県庁記者クラブの記者と同等に議会取材をしています。
これは極めて不合理であり、この上なくおかしな判断です。
一貫してマスコミだけに取材許可を限定していれば、口頭の引き継ぎであっても、そのルールに沿ったかたちなので、一定の理解はできます。しかし、そのルールを破る格好で、屋久島ポストの取材を認めているのですから、そもそも口頭での引き継ぎがあったのかどうか、それ自体が怪しくなってきます。

この陳述書を読み通して感じるのは、議会取材を許可するか否かについて、石田尾議長が恣意的に判断しているということです。もっと強く言えば、誰に議会取材をさせるのかという判断を、石田尾議長が「好き勝手」に決めているとしか思えません。
その意味で、この【議会取材の自由を守る訴訟】は、良識ある新たな議長に首をすげ替えて、住民が主体となった議会にするための闘いでもあると考えています。
※「屋久島ポスト」は訴訟の当事者であるため、この【議会取材の自由を守る訴訟】については、記事の文体を「です、ます調」にしたうえで、主観を入れた体験取材記の体裁にしています。
■屋久島町政への提言と意見
屋久島町政について、読者からのご提言やご意見をお待ちしています。以下URLのフォームから投稿をお願いいたします。
https://forms.gle/4jwVGJ144BYUYESYA
