【取材後記】教育長の遺訓を心に刻んでも「人命を差別」する屋久島町
荒木町長、急逝した教育長に「衷心より哀悼の意」
一方、牧場職員の過労死には沈黙し公表もなし
法廷闘争3年、裁判所の和解案も拒否

「ここに衷心より哀悼の意を表し、安らかなご冥福をお祈り申し上げます」
屋久島町の石田尾行徳・教育長(当時)が6月13日に亡くなったことを受けて、荒木耕治町長は町議会6月定例会の最終日に追悼の言葉を述べた。突然の訃報に接した14人の町議たちも、荒木町長ら町幹部と一緒に1分間の黙祷を捧げ、深く哀悼の意を表した。
老朽化した小学校の移転など道半ばでの急逝
荒木町長はこうも述べて、石田尾教育長の死を悼んだ。
「私としても、教育行政における右腕を失ったかのような心細さを禁じ得ず、ただただ無念でなりません」
老朽化した小学校の移転や児童生徒数の急減など、町の教育行政が抱える課題は山積みだ。町役場の取材を続ける屋久島ポストとしても、石田尾教育長には大きな期待を寄せていただけに、道半ばで急逝されたことが残念でならない。

公務災害の過労死を公表しない町長
ただし、町議会での追悼の様子に触れて、大きな違和感を抱いた。
2019年8月に町営牧場の職員だった田代健さん(当時49)が公務中に亡くなっても、荒木町長が町議会で哀悼の意を捧げることなく、死亡事故があった事実すら報告していないからだ。2023年2月には、地方公務員災害補償基金の鹿児島県支部(支部長・塩田康一知事)が過労死による公務災害と認定したが、それでも荒木町長は沈黙を貫き、公務災害について公表することもなかった。
地方公務員災害補償基金の認定事実も否定
この極端な差はいったい何なのか?
町三役の一人である教育長なので、特別に追悼の言葉を述べることは理解できる。しかし、その一方で職員の過労死が公務災害と認定されても、公務中に亡くなった事実を全く報告しないのは、あまりに冷酷すぎるのではないか。これでは、まるで田代さんの死がなかったこととして扱われているようだ。
さらに問題なのは、町が「過重労働はなかった」と主張して、同基金が過労死と判断した認定事実を完全に否定していることだ。町にも言い分はあるだろう。だが、公務災害は民間の労災と同じであり、町は基金の判断を受け入れるしかないのだが、それでも否定し続けている。

過労死認定に対し「肉体的に楽な作業だった」
そうなれば、遺族は黙っていられるはずがない。田代さんの過労死を認めさせるため、2023年10月に町を相手に約7000万円の損賠賠償を求める訴訟を提起。2025年11月には、町が遺族に解決金4000万円を払う和解案が示されたが、それでも荒木町長に和解を拒否され、提訴から3年近くも法廷闘争を強いられている。
7月7日に鹿児島地裁で行われた証人尋問は、遺族にとっては耳をふさぎたくなるような内容だったに違いない。
田代さんの労働について、当時の上司たちは「肉体的に楽な作業だった」などとして、1日の勤務時間が6時間半ほどだったと主張。だが、実際の勤務は毎日10時間以上で、休日なしの連続勤務が269日続いたこともあった。それを指摘された上司たちは、実際の勤務時間を「確認していなかった」と証言した。

教育長と牧場職員は二人とも町に尽力
教育長の石田尾さんと牧場職員の田代さん。
町役場内での立場は違うが、二人は共に屋久島町のために尽力した元職員である。そして田代さんに関しては、公務中に過重労働で死亡したとして、同基金から公務災害が認定されている。
そうであれば、町三役の教育長ほどではないにしても、公務災害で亡くなった事実を報告したうえで、荒木町長が追悼の言葉を述べてもいいのではないか。過労死について異論があったとしても、公務災害と判断した同基金の認定事実が変わることはなく、それでも町議会に報告を一切しないのは、常軌を逸した対応である。

教育長の遺訓、教育とは「人づくり」「未来の子どもたちのため」
町議会で荒木町長は、石田尾教育長が常々語っていたという言葉も紹介した。
「教育とは『人づくりである』『未来の子どもたちのために』というお言葉は、今も私たちの心に深く刻まれております」
この遺訓を心に刻んでいるのなら、今のままでいいはずはない。そして鬼籍に入られた石田尾教育長は、心から願っているであろう。
将来を担う屋久島の子どもたちには、人の命を差別するような町で暮らしてほしくないと。
田代さんが亡くなってから今年で7年。8月8日の命日を前に、田代さん、そして石田尾さんのご冥福を心から祈りたい。合掌。
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