3章 容疑者③『離島記者』

世の常だが、40代を迎えた会社員は、中間管理職になるケースが多い。それは新聞社も同じで、私も42歳で写真部員の取材を取りまとめる「デスク」になった。役職名のとおり、朝刊デスクの当番日は午後1時から翌未明の午前3時ごろまでの勤務となり、14時間も連続でデスクに張りつかなくてはならなかった。
大勢の部員を束ねる重要な仕事なのは理解していたが、落ち着きのない私には、どうにもこうにも不向きだった。同じ報道の仕事をするのであれば、本社でデスクをするよりも現場に行きたいと思ってしまい、部員から送られてくる写真や原稿を抱えながら、いつも「デスクから解放されたい」と切望していた。

それに加え、人生の後半はどこか一カ所に留まり、家族とのんびり暮らしながら、好きなテーマで取材をしたいという思いもあった。
そして、「どこかいい場所はないか」と各地を訪ね歩くうちに、悠久の大自然が残された屋久島に辿り着いた。島の大半が森と山に覆われ、日本百名山の宮之浦岳もあり、山好きの私にはありがたかった。さらに、日本初の世界自然遺産という冠もあり、自然環境をテーマに取材するには絶好の場所だと思った。

かくして、私は2012年夏に20年勤めた朝日新聞社を退職して、家族3人で屋久島に移住した。フリーのジャーナリストとして取材するつもりだったが、まずは落ち着いて暮らせる拠点をつくらなくてはならなかった。最初は貯金で食いつなぎ、家を建てる土地を探した。そして、移住から2年後の2014年秋、手持ちの退職金をはたいて、ささやかな我が家を完成させることができた。
まだ、屋久島での取材が始まってもいないのに、思いのほか刑事の反応はよかった。南極や北極などを経て、最後は屋久島に辿り着くという、私の行き当たりばったりの選択を話すうちに、初めは硬かった刑事の表情が和らいでいくのを感じた。そして、いつの間にか私は、自分が容疑者であることを忘れてしまいそうになった。
だが、次のひと言で、すぐに現実に返った。話の流れを仕切り直すかのように、刑事は「でも、屋久島の自然をテーマに取材するはずだったのに、どうして出張旅費不正精算の問題を取材することに?」と言って、話を事件に移そうとしたのだ。
やっと我が家が完成したのはいいが、現実は厳しかった。人口が1万数千人の離島で、フリーの記者ができる仕事は限られていた。雑誌などで単発の仕事はあっても、次の取材が続かなかった。そのままではジリ貧に陥るのは明らかで、山岳部での経験を活かして、山のガイドになろうかと真剣に考えるようになった。
だが、「屋久島で取材する」と吹聴して新聞社を去った手前、そう簡単に諦めるわけにはいかなかった。そこで、何かいい手はないかと方々を当たるうちに、思いがけず古巣の朝日新聞社でお世話になった先輩が助け船を出してくれた。その先輩は定年退職後に地元テレビ局のKKB鹿児島放送で幹部になり、私に「屋久島の駐在カメラマンをやらないか」と声をかけてくれたのだ。
途方に暮れていた私は救われた。KKBが朝日系列ということで朝日新聞社からも誘いがあり、鹿児島総局の「屋久島通信員」もすることになった。同時に新聞とテレビの取材ができるのかと不安だったが、「一度の取材で二度稼げるチャンス」だと自分に言い聞かせ、思い切って引き受けることにした。
新聞とテレビの並行取材は2015年2月から始まり、最初はのんびりと自然や祭りなどを追っていた。だが、その年の5月に隣島の口永良部島が大噴火を起こし、全島民ら約140人が屋久島に避難する事態になった。噴火活動が落ち着き、多くの住民が島に帰れたのは12月末で、それまでは噴火関連の取材で忙しかった。

翌2016年になると、口永良部島の取材は落ち着き、再び屋久島の自然に向き合えるようになった。ちょうどその年は、屋久島を象徴する縄文杉が発見されてから半世紀の節目にあたり、「縄文杉の50年」と題するシリーズ記事を朝日新聞の鹿児島版で連載。国が続けた大伐採に対する反対運動で、島の青年たちが守り切った原生林が世界自然遺産に登録されるまでの歴史などを紹介した。

移住してから4年。これで、ようやく当初の目標どおり、屋久島の自然をテーマにじっくり取材ができると喜んだ。
だが、それはほんの束の間で、やがて雲行きが怪しくなってきた。屋久島町の行政取材もするようになると、不祥事やトラブルが次々と起こり、その度に説明責任を果たさず、閉鎖的な町役場と取材で対峙することが増えたのだ。
2016年に起きた荒木耕治町長の解職を求めるリコール騒動が、その始まりだった。
ことの発端は、町が新庁舎の建設に24億円の事業費を投じるのに、詳細な計画を住民に知らせないまま、町議会で予算を承認させたことだった。私も計画を全く知らず、どのような建物がいくらで建設されるのか、新庁舎に関する詳しい記事が書けないでいた。
そこで、新庁舎の予算案を審議する3月定例会の直前に、私は町の総務課に取材を申し込んだ。ところが、驚いたことに担当職員は「何も答えられない」という。町議会に予算案が出されれば、それは住民に建設計画を示したのと同じである。私は「議会で予算審議をする以上、私たちも報道しなくてはいけない」と食い下がったが、職員はじっと口をつぐみ続けた。

こうなると、「最後の手段」を使うしかなかった。すでに町議会には計画書が配られていたので、私は知人の町議からもらったコピーを示し、「この計画書について説明してほしい」と迫った。だが、それでも職員は「それは内部文書です」と言って、説明を拒み続けた。
(3章 容疑者④につづく)
※本文に登場する人物の肩書と年齢は当時のものです。
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