序章『離島記者 報道砂漠で闘う市民メディアの挑戦』/武田 剛

「あなたには黙秘権があります」
世界自然遺産の屋久島(鹿児島県)に家族と移住した末に、まさかこんな目に遭うとは思わなかった。四畳半ほどの細長い警察署の取調室で向かい合った刑事が、じっと私の目を見つめて、そう告げるのだ。取り調べの容疑は「強要」。私が取材相手から「強引に証言を引き出した」うえで、「新聞に事実とは違う記事を掲載した」疑いがあるという。
そんな覚えは微塵もなかったが、2020年の夏、私は刑事事件の「容疑者」にされてしまった。
屋久島警察署に任意出頭する日の朝、12歳の娘は「お父さんは警察に逮捕されちゃうの?」と不安げに言った。それを横で見ていた楽天家の妻は、「大丈夫よ、差し入れを持って、面会に行けるから」と、私には全く笑えない冗談でほほ笑んだ。
「こんなはずじゃなかった……」
大自然のなかでのんびり暮らそうと、住み慣れた東京から連れてきた娘と妻には、申し訳ない気持ちでいっぱいだった。
だが、そんな私の傷心を意に介さず、刑事は黙って机の上にノートを広げ、事情聴取の準備を始めた。そして自己紹介では、鹿児島県警察本部の捜査一課に所属しているという。捜査一課といえば、殺人や強盗などを担当する部署だ。その2年前には、鹿児島県日置市で親族ら5人が殺害された殺人事件の捜査もしていたそうだ。
これはえらいことになったと怖気づいたが、刑事は淡々と事情聴取を始めた。
私が20年勤めた朝日新聞社を45歳で辞めて、屋久島に移住したのは2012年夏のことだった。「ディズニーランドに行けなくなる」という娘にはすまなかったが、屋久島で暮らしながら、島の大自然をテーマに本格的な取材をするためだった。
新聞社では写真記者として環境取材をたくさんした。
南極観測隊の同行取材では昭和基地に滞在し、美しいオーロラや愛らしいペンギンなどの写真を撮りながら、約500日間にわたって観測隊の活動を報道した。北極のグリーンランドでは先住民のイヌイットと一緒に犬ぞりに乗り、薄く危険な海氷の上で続く狩猟の様子などを取材して、迫り来る地球温暖化の危機を伝えた。
「人生の後半は一つの地域に留まり、独自のテーマで取材をしたい」
南極と北極の取材を終え、そう思って移住したのが、悠久の森とともに1万2000人の住民が暮らす屋久島だった。樹齢数千年の巨大な屋久杉が自生する原生林など、その類まれな自然美が高く評価され、1993年に日本で初めてユネスコ(国際連合教育科学文化機関)の世界自然遺産に登録された島だ。
移住後はフリーランスの記者として取材を始めたが、やがて古巣の朝日新聞社から声をかけられ、業務委託で鹿児島総局の屋久島通信員もするようになった。そして、再び自分の記事を新聞に載せられるようになった私は、夢中になって屋久島を取材で駆けまわり、島の自然環境をテーマに数多くの記事を書いた。

樹齢が数千年とも言われ、筋骨隆々とした太い幹が印象的な「縄文杉」。九州最高峰の宮之浦岳(標高1936メートル)から海抜ゼロメートルの海岸線にかけて、冷温帯から亜熱帯で育つ植物が見られる「植生の垂直分布」。さらに、その深い森のなかには、屋久島だけに生息するヤクシマザルやヤクシカの親子連れの姿も……。

念願だった屋久島に関する記事が自由に書けるようになり、初めは何を取材しても楽しかった。
ところが、屋久島町の役場や議会を取材するようになると、徐々に暗雲が立ち込めてきた。町政をめぐる不祥事やトラブルが次々と起こり、自然環境よりも行政監視の取材をする機会がどんどん増えていったのだ。
2016年には屋久島町長のリコール(解職請求)運動が起き、約1年にわたって小さな町は大きく揺れた。総事業費24億円で新しい役場庁舎を建設する計画をめぐり、町が住民に広報しないまま予算を成立させたことを受けて、高額な事業費に驚いた大勢の住民が計画に反対した。だが、それを町長と町議会が突っぱねたため、住民団体が町中を巻き込んで、町長リコールの署名活動を展開したのだ。
また2018年には、島外から離島留学で町立小学校に通っていた児童に対し、里親が竹刀で叩くなどの体罰をしていたことが発覚した。児童の保護者は町の教育委員会に相談したが、担当課長は当事者間での解決を求め、何も対応しなかった。そこで、保護者は「二度と同じ被害者を出してはいけない」との思いで、町の監督責任を問う損害賠償請求訴訟を提起する事態になった。
さらに2019年には、世界自然遺産の山岳環境を守るために、登山客から入山協力金として集めた3000万円が横領される事件が発生した。町の条例に従って集めている寄付金のため、町議会では町の管理責任を問う声が上がった。だが町長ら幹部は、協力金の収納業務を委託したスタッフの責任だと主張し、横領された寄付金を一時的に補填するなどの対応はしなかった。
そして2020年2月には、副町長や町議会の議長らが、虚偽の水増し領収書で出張旅費を不正精算していたことが取材でわかった。それらの領収書には、実際の航空券代より高い金額が記載されており、副町長や議長らはその差額を着服していた。さらに、すべての領収書が町内の同じ旅行会社で発行されていたことも判明した。

私が警察で事情聴取されることになったのは、この虚偽領収書をめぐる取材が原因だった。
まずは、取材に先立って行われた社内調査で、虚偽の領収書を発行していた旅行会社の責任者が、親会社の幹部2人に対し、領収金額の水増しを認めて謝罪した。続いて、その様子を横で取材していた私と地元紙の記者が証言を確認し、責任者が虚偽領収書の発行を認めたという内容の記事を掲載した。
ところが数日後、その責任者が証言を撤回し、記者と親会社の幹部の計4人に強制され、事実とは違う証言をさせられたと主張した。それを受けて、責任者の知人らが弁護士を伴って記者会見を開き、私たち4人を強要の疑いで刑事告発したと発表したのだ。
告発したのは6人で、その顔ぶれを見る限り、屋久島町長の支持者ばかりだと思われた。なかには、議会で町長派の議員を束ねるベテラン町議も名前を連ねていた。そして、告発状の写しを手にした私は、その内容を詳細に読んで確信した。
告発した真の目的は、町幹部の出張旅費不正精算事件で、町長らを追及する私たち記者への「報復」に違いない。
その事件は2019年末、屋久島町長が議会でついた「小さな嘘」から始まった。
(1章 町長の嘘①につづく)
※本文に登場する人物の肩書と年齢は当時のものです。
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